国際疼痛学会(1986)では「組織の実質的あるいは潜在的な障害に関連して起こる、またはこのような障害を表す言葉で述べられる不快な感覚、情動体験」と。また日本ペインクリニック学会では「pain( 痛み):実際に何らかの粗しく損傷が起こった時、あるいは組織損傷が起こりそうな時、あるいはそのような損傷の際に表現されるような、不快な感覚体験および感情体験」と書かれていますが、「何のこっちゃ?」と思うのが大多数のでしょう。
私は何十年も前から「痛みとは何ですか?」と尋ねられたら次のように答えています。まあ、今でも通用すると自分自身では思っておりますが。
「人間が『痛い』と感じるのが痛みである(かゆいと感じるのがかゆみである)。個人の知覚経験であり、感じ方に個人差がある」前半の文章は半分冗談みたいな表現で後半はちと固い表現ですが。
4項目に分けて考えます。
1:痛みは人間のものである。
2:痛みは個人のものである。
3:痛みは経験の感覚である。
4:痛みの感じ方に個人差がある。
1:痛みは人間のものである。
ペインクリニックでの痛みの治療は人間が対象です。犬や猫に痛みの感覚があるか否かは「痛い!」と言わないので分からないのが本当ではないでしょうか?
2:痛みは個人のものである。
痛みを持つ人が「痛み行動」(注:痛みを言葉で表現する、態度、動作などで表現するにより他人に知らしめることを「痛み行動」という。それにより他人はその人が痛みを持っていることを知ることが出来る)を起こさない限り他人には分からない。古来よりの格言?「自分の痛みは1分も辛抱出来ぬが他人の痛みは100年でも辛抱出来る!」は正しい。
3:痛みは経験の感覚である。
人間は生まれて乳幼児期に遭遇した負傷の経験から「痛み」という言葉の使い方を学習する(転倒して頭を打つ。異常な感覚を経験して泣きわめく。母親が「痛かったねえ」と頭をなでてくれる。これらの様な経験により人間はこのような異常な感覚を「痛み」と認識するものであるとされています。では母親が「かゆいねえ」と言って育てられれば頭を打つと「かゆい、かゆい」と言うようになるか否かは断言出来ませんが)。
古来よりの格言?「痛みの経験のない人間に他人(ヒト)の痛みは分からない!」は医学的に正しい。
4:痛みの感じ方に個人差がある。
痛みを他人と比較することには意味はあまりありません。痛み行動の大きな人間が必ずしも痛み感覚が大きいわけではありません。痛みの強さを表す絶対値、客観的に評価出来るものはないのが現状です。痛みを客観的に数値化出来るとのふれこみでいろんな機器が発売されていますが、ある個人の経時的な変化に対しては有効であろうが、個人間の比較に使用するには注意を要すると考えています。
「痛み」という学問・臨床の道に入って長くなりますが、未だに「痛み」の本質を私は理解出来ていません。「日暮れて道なお遠し」です。